わたしの気持ち2016

発達障害でも統合失調症でも、本人に病識があって法令順守が身に付いているなら悩むだけ無駄なんだねー。産まれてきたのは己のせいじゃないしー、あー悩んで病んで無駄だったわ。

5月17日 昔々の今日の僕*ドナウィリアムズとわたし

切り立った崖の上で、わたしは自分に問いかける
わたしは何を失うのだろうか
「ゼロよりさらに下」の井戸のようなところでしか
生きられなかった過去のために

這い上がる時に使った道具を握りしめ
わたしは 力の限りに叫ぶ 世の中に向かって
あれがわたしの精一杯だったのだと

だがいつも不十分としかみなされなかった
精一杯だったのに

なぜ、あんな仕打ちを受けなければならなかったのか
なぜ、わたしは名前も場所もない、
幻の人間でいるしかなかったのか

ドナウィリアムズ『こころとい名の贈り物』を改題
自閉症だったわたしへⅡ』
より

□ □ □

本のタイトルを改題したのは『自閉症だったわたしへ』という本で
20年以上前に有名になった本だからかと思います。

20年以上前の本(自閉症だったわたしへ1)に出合ったとき
やっとわたしと同じ人間を確認できた
そんな記憶があります。

ただその頃は発達障害なんてわからないし
やはりわたしは自閉症(発達障害自閉症スペクトラムなのですが)なんだなあと
遠いオーストリアにいるドナという女性も
日本のわたしと、同じなんだなあと認識しました。

わたしは人生に疲れてしまっていて(若いのに)
いつも死にたくて
やはり自閉症(治らない、先天的な病気)なのだと
さらに死にたくなりました。

最近ではネットの書き込みひとつでも
他人をアスペ呼ばわりをしたり
なにかと自閉症スペクトラム
小バカにされたり
加害者呼ばわりされたり
しているようなのですが

誤解されるのやバカにされるのがデフォな
疾患だと本人も気づいて悩んだりしている
そんな発達障害の人は沢山いられると思います。


もし時間がありましたら

ドナウィリアムズの
自閉症だったわたしへ

を読んで欲しいのです。

理解しろとか押し付けがましいことでなく
知識のひとつや、好奇心でかまわないのです

是非読んで貰えたらなあと思います。

普通という大多数には入れないけれど
逃げ回ったり
悲観ばかりするわけでなく
自分自身をみつけることすら
精一杯だったわたしの仲間(たぶんナカマ)の……自伝的小説です。

わたしは今から自閉症だったわたしへⅡを
読みますが
本の冒頭を
今日のブログの最初に引用したのは
もう、本の冒頭だけでも
充分に辛さがわかってしまって

その文章通りの迷いを
わたし自身も内包しているからです。

□ □ □ □


わたしわたしって、わたしばっかりやないか!
と思われるのことを承知で
「わたし」を多用していますが

それには理由がありまして


【その怪物の名は、「自閉症」だった―――人の内側にいる、目には見えない怪物。
「わたし」という物を持たせず消してしまう怪物。】

丁度ドナが適切な表現で書いてくれたので
上記の【】内は、今読み始めたドナの著書から引用しました。

つまり、わたしは、わたしでいたい。
わたしはわたしなんです
やっとわたし一人で生きたいと思える用になった
「わたし」
なんですもの……。

もちろん他人の前で「わたしがわたしが!」なんて
言ったりしませんよー。